ちょっとまじめにモンゴルとトンデンファームの生い立ちをご紹介します。

以下は1997年12月号マンスリー北海道マガジンでご紹介頂いた内容です。

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新たなる夢を求めて・・・  有限会社トンデンファーム代表取締役 松山増男


モンゴルの大地に生きる


生まれは静岡。江別の酪農大学で学び、北海道人として生きてきた。そして今、新しい可能性を新天地「モンゴル」に求める。



モンゴルに念願の会社設立


北にロシア、南に中国が隣接するモンゴル国。日本の四倍の領土を持ち、人口は約二三〇万人。人口密度は一kuに一・四九人と広大な大地と豊かな自然を持った国だ。厳寒期には、マイナス四〇度にも達するという過酷な自然環境の中でモンゴルの人々は古来から遊牧を営み、自然と共存しながら生きている。


平成九年四月、モンゴルに惚れて、会社を設立した男がいる。(有)トンデンファームの代表取締役松山増男さん(五十五歳)が、その人である。
新会社の名前は、「ハーンインターナショナル」。手作りハムやソーセージの製造販売、農場やレストラン経営を事業内容に掲げ、九月末に、モンゴルの首都ウランバートルの中心地にレストランをオープンさせたばかりだ。スタッフはモンゴル人が中心である。


「今まで培ってきたノウハウを生かしながら、モンゴルの国興し的事業をモンゴル人と共にやってみたい。私自身の人生もかけた新たな挑戦です。」と松山さんは言葉に力を込める。将来は生活基盤もモンゴルに置きたいと現地にアパートを借りた。


「モンゴルの遊牧は、馬、牛、らくだ、羊、山羊の五畜を自然草地を追いながら肥えらせ、その乳、肉、毛、皮を利用して生活する。季節に合わせて住む場所を移動するため、自由気ままな生活に思えるが、その本質は家畜を育成させるため。広大な大草原の中で大地と人間が呼吸を合わせながら生きている。そんな生き方に大きな魅力を感じました」


大柄な体躯に穏やかな話振り。そして何よりも笑顔が最高にいい。「信念と情熱の人」というのが周りの評価だ。「何かを始める時は、まず自分がハングリーでなくては」と苦労や試練は全く厭わないという。「お金も出すが、口も出す。私の思いをしっかり伝えたいから。信頼関係はそこから生まれるものだと思う」という誠実な人柄と行動的で前向きな姿勢がモンゴルの人々の心を引き付けたに違いない。
静岡で生まれ、北海道に立ち、モンゴルに夢を馳せる


精肉店を営んでいた松山さんは、昭和五十年に(有)トンデンファームを江別市に設立。手作りハム・ソーセージの製造販売、農場や牧場、レストランの経営などを手がけ、平成八年度の年商は十四億円という成長企業の代表取締役だ。同社は、「骨付ソーセージ」や「ギョウジャニンニク入りソーセージ」などのヒット商品を生み出し、その名を全国に広めた。骨付きソーセージでは、発明協会の発明奨励賞を受賞するなど、食品業界の評価は高い。「コストや手間がかかっても本当の美味しさには徹底してこだわる。経済性だけを優先させる製品づくりはしたくない。食糧は人間が生きるために必要な量だけで十分。人間は大地に生かされているのだから、大地を守る義務があるんです」との強い信念を持っている。


初めてモンゴルを訪れたのは昭和六十三年。そして、自然と共生しながら生きるモンゴル民族への共感が、松山さんの中で大きな夢として膨らみだしたのは、平成八年に外モンゴルの大地に初めて立った時だ。「最も自分らしく生きられる国」と確信したのである。


モンゴル国は、社会主義国として旧ソ連の兄弟国の一つだったが、ペレストロイカの流れを受けて、八九年末から民主化運動が起こった。その後、経済面では国有資産の分配や国営企業の民営化が行われるなど大きな変化を遂げ開放政策で中国の関係も正常化、アメリカとも国交を結んでいる。


 さらに、日本との関係も最近になって深まり、日本を紹介するテレビ番組や新聞記事、NHK連続ドラマの「おしん」もモンゴル語で放送され話題を集めた。一部の小・中学校でも日本語を教え始めるなど、日本語学習塾も盛んである。



モンゴル人留学生との出会い


平成八年の夏、ハム工場にアルバイトに来ていたモンゴルから来ていた留学生ブヤンさんと出会う。北大でコンピューター技術を学ぶ彼に、松山さんは「大地と共に豊かに生きる農業のすばらしさ」を説いたのである。その情熱が、ブヤンさんの「ハイテクの第一線を目指してアメリカに行く予定」を変えてしまったという。


二十八歳のブンヤさんは、「農業の大切さを改めて認識し、自分の身近な問題として考えるようになった」と流暢な日本語で答える。「ハイテク機器を使って通信や情報を入手しながら、農業経営をしよう」との進路変更である

さらに、ブンヤさんを通じて、多くのモンゴル人との交流が深まり、モンゴル進出への具体的構想が固まっていった。
九月末にウランバートルにある大学の敷地内にレストランをオープンさせた。メニューは「モンゴル風うどん」「羊肉丼」など、地元で取れた農産物を食材に使った料理が並ぶ。


また、地元スタッフの研修も兼ねて、三人の若者を日本に呼び寄せた。レストラン研修にアリューンゲレールさん、二十三歳。農業研修にエルデンバヤルさん、二十五歳。農業重機の研修にアリューンボルドさん、二十四歳。今年の十月から約一年間に渡って、松山さんのもとで経営と実践のノウハウを学ぶ。

自分の足で大地を踏みしめたい


松山さんのモンゴル進出への考え方は一貫している。「自分のノウハウを母なる大地で生かしながら、人間として豊かに生きたい。人間にとって、何が大切で、何が不要なのか。父なる天、母なる大地に相談しながら頑張ります。農業こそ国の基なり。それを信じています。」


だから、自ら現地に入り、一緒に汗を流す。新事業もモンゴルの伝統的な生活様式を壊さずに進めたいとしている
「モンゴルでは肉といえば羊のことだが、家畜として豚やブロイラーを増やして畜産業の幅を広げ、精肉の加工品を隣の中国やロシアに輸出し、産業の活性化を図りたいと考えている。購入したばかりの農場と工場兼店舗の打合せのため、十一月もモンゴルへ飛びます」


今年八月、松山さんはブヤンさんの親類から、二歳の子馬をプレゼントされた。たずなにはモンゴリアンブルーと呼ばれる青い布が結んであった。これは天空の神聖な青を現し、二歳の子馬は、これから成長することから大きな可能性を意味するという。モンゴルでは名誉ある最高の贈り物だ。「モンゴルの人達がモンゴル人よりもモンゴル人らしいと受け入れてくれた」と喜ぶ。


千歳空港からソウルを経由してウランバートルへ。三時間半後に眼下に広がってくるモンゴルの大平原が、松山さんの新天地だ。


「僕は、自分の体にモンゴル人の血が流れているような気がするよ」その満面の笑顔には、異国での挑戦に不安や迷いはない

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