ちょっと気取ってトンデンファームとインディアンの歴史をご紹介します。

以下は 「かっこいいミドルの情報誌 」  AGing倶楽部 1996年11月号に掲載の内容です。


 自然回帰追い求めて  有限会社トンデンファーム 松山増男さん

 

自然回帰へつながる本物指向のハム・ソーセージづくりで知られる有限会社トンデンファーム(本社・江別市元野幌、松山増男代表取締役)


同社の製品は四十余種類。その一つが丹念な手作業で作られる。なかでも「骨付きソーセージ」は、味はもとより野趣あふれる感覚が時流に乗り、その後の同社の命運を決するヒット商品となっていく


素材そのものの風味を生かした製品づくりがモットーだけに、自然への深い慈しみを持つ。とくにアメリカインディアン伝承の「マザーアース=母なる大地」に魅せられ、自然と調和して暮らす彼らの考えに心酔している。後志管内・赤井川村に八年前にスタートさせた新しいスタイルの農場「ホピの丘」には、そんな思いを反映させている。食を発端に、人びとに心豊かな生活を提案するトンデンファームの総師はどんな人物なのだろうか


有限会社トンデンファームの創業は昭和五十年。事業内容は手づくりハム・ソーセージの製造・販売のほか農場、牧場経営、レストラン経営。年商は八億円


松山増男の出身は静岡県静岡市。子供時分から牧場経営に興味をもち北海道の酪農学園大学を選び、夢を現実化していった
大学卒業後、一年間の養豚場実習を終え洞爺湖周辺で養豚業を始めるが、卓上の学習と現実のギャップを知ることになる。その後、江別市大麻で再度、養豚業のかたわら食肉加工に着手した。当時では珍しい味つけレバーやその場で塩、コショーして焼いた肉は人気を呼び、「牧場経営」の夢は一層身近なものとなっていく

その第一弾として直営養豚場の土地と現在の本社の土地を手にした。昭和四十五年である
松山は想っている


養豚業や食肉加工が一応の成果を上げたといっても夢の第一歩に過ぎなかった。夢を持つのはいい、それをすぐ実現しようというのでなく、できる事から始めようと。カネもコネもなく、人もいないないモノを探してもどうしようもない。持っているものが本人のやる気だけだとしても、それを誰かに分かってもらった時から道は開ける、と。夢を実現させる第一歩はこうして始まった


養豚、食肉加工から生産したものに一層の付加価値をつけた生産・加工へと進む。これもまた「牧場経営」へのひとつのステップに過ぎないものだった。


松山が常々口にする言葉がある。
私は事業家ではありません。今まで自分のキャパシティ(能力)の中でやってきて、徐々にこうなっただけです。これが自分のスタイルだと思うし、要は自分がどう思うかでしょう。人から押しつけられた生き方ではなく自分の中から出た生き方をしていきたい

六年前から後志管内・赤井川村にオープンした新しいスタイルの農場「ホピの丘」も、この哲学に基づいて始められている。この二十万坪の広大な農場は、ばんえい競馬用の馬やジャガイモ、カボチャなどの野菜を生産し農場に携わる人びとが自給自足するためのもので、開発する気持ちはまったくないのだ。
事業家ではない、事業欲はさらさらないと断言する松山。大地を愛し、その土地を守る勇気を持ち続けたいとする思想はどこからくるのだろうか。


松山が卒業した酪農学園大学の校是が【神、人、土を愛し】の三愛主義。それとほぼ十年になるアメリカンインディアンとの親密な関係や内蒙古の放牧民との心の交流が人生観を少なからず変えているように思われる。

インディアンの伝承にある『七代先のために今日、行動しなさい』という言葉に、衝撃を受けた、と松山。マザーアース(母なる大地)とは、すべてのものは大地から生まれ大地に帰ることを意味し、これを実践したのが「ホピの丘」ということになる。


松山は、物欲が氾濫した現在(いま)に危機感を抱く。物欲と心の間にアンバランスが生じたとき、多種多様な形で弊害が出るのだという。物が豊富でも決して幸せは実感できない、その豊富なモノを提供しているのが大地であり、大地が人を生かしているのだと説く。この根底には企業にも「心」と「物」へのバランスが大切と訴えているのだ。
「夢工房」の由来も松山のコンセプトにそって名付けている。つまり、ロマンを追い続け夢と希望があふれる工場で、経営を追い求めるものではないという。あくまでも大地を愛し、その大地を守る勇気を持つことに終始する自然回帰を貫く起業家なのだ。
松山は最後に言った。


─私の哲学が社員に浸透してきました。人から押しつけられた生き方はつまらない。自分の生き方を探しなさい、と。それが徐々に芽が出始め若い社員がパン工房、ラーメン店など可能性を求めて道を開いてきました。それは大歓迎で私の次の夢への挑戦につながりますから。
 次の事業というのは同社の高齢者対策として中期計画がある。これによると、本社周辺に地ビール工場を建設する予定だ。松山自身も「五十五歳で定年」を決意している。それは次のステップに進みたいからだという。感動の時間を仕事の中で生かしたい、感動を得るためには大地に戻ること、いや戻ります─。


自然回帰をひたすら求め続け、本物作りに取り組む姿勢は物欲≠ノこだわる企業の中で異彩を放つ。「私のような経営方針が求められているのではないでしょうか─」
                                                         (文中敬称略)


pig_home.gif (6000 バイト)トップページに戻ります